2015年 06月 17日
又五郎の春秋 |
池波正太郎が、6年前に物故した二代目中村又五郎について書いた本である。
本書を読んで、「剣客商売」全巻を読破した。
主人公の秋山小兵衛の風貌のイメージは、中村又五郎であると書いてある。だからTVシリーズの藤田まことや北大路欣也の小兵衛ではどうもピンとこない。又五郎が演じたシリーズもあったらしいが、観ていない。舞台化では池波正太郎自身の演出で上演されたこともあったらしい。返す返すも見逃していて残念だ。
私が歌舞伎を観始めた時はすでに又五郎の晩年であり、当時の現役歌舞伎俳優の中では最古老だったので、頻繁に舞台に出ていたわけではなかった。ゆえに出演するときは必ず観た。主役ではないが、存在感は大きかった。
歌舞伎俳優の他に、国立劇場の歌舞伎俳優養成講座の講師という重役も担っていた。この本では、その様子も書かれている。
歌舞伎を全く知らない若者を相手に一から教える、それはとても片手間でできることではなかっただろう。一年間という非常に限られた期間内で教えるという条件下ゆえに、教える方も教わる方も激烈を極めた。本の描写からその情熱が伝わってくる。講座を修了すると、歌舞伎俳優の弟子として門下に加わる。大歌舞伎で主役を演じることは絶対にない。しかし脇で支える彼らなしでは舞台では成り立たない。
クライマックスの大立ち回りのシーンで、主役に斬りかかる大勢の敵役の多くは養成講座出身の人たちだと思う。スピードがあり、誰かが一瞬でも気を抜けば大事故になりかねないアクロバティックな演出がいくつもある。個人的にはその大勢の息の揃った素晴らしい演技に拍手を送りたいのだが、どうしても孤軍奮闘する主人公が、彼らをバッサバッサと切り倒して、最後に型を決めるところで観客の喝采が沸き起こる。ストーリー的にはそれでいいのだろうが、あんなに危険を冒してまで脇の人たちの演技で盛り上げてこそ、なのに最後に主役においしいところを全部持って行かれてしまうことに、なんとなく歯痒さを感じていた。
特にこの本を読んで以来、それでも毎日健気に自分の役割をきっちりこなす彼らの姿を見ると、泣くようなシーンではないのに、涙がこみあげてくるようになってしまった。歌舞伎は観客席も特別な演出以外は割と明るいので、ひそかにそっと泣くことができない。なので、非常に困る。もちろんそんなのは自意識過剰で、誰もそんな一観客に気づくことはないだろうとは思うのだが。
昨年、亀治郎が「猿之助」を襲名してから初めてのスーパー歌舞伎を観に行った。襲名するずいぶん前から、踊りのうまさ、女形を演じる時のあだっぽさなど、若手の中でも群を抜いて注目していた。尊敬する先代の叔父(現「猿翁」)が、病気で体がきかなくなって以降、自分が猿之助を襲名することによって、叔父の媒体となって表現していきたいと話した記事も読んでいたので、その叔父が立ち上げたスーパー歌舞伎をどのように継承するのか大変興味があった。
途中やや冗漫かと思われる箇所があったようにも思うが、やはりスーパー歌舞伎の一つの売りでもある、歌舞伎よりもテンポの速い、派手な立ち回りのシーンは、そこに行きつくまでのことを考えると感動的でもあり、泣けて泣けて困った(これって一種の、息子を見守る母のような気持ちなのだろうか)。
話題がそれた。
本公演では主役になれない養成講座出身の彼らも、毎年8月に行われる「稚魚の会」では、修了生を中心とした上演の機会がある。日頃脇役を務める傍ら、舞台上で、または袖で観てきた、師匠が演じている大役を、今度は自分が演じる。弟子としての仕事をしながら稽古に励むのは並大抵のことではないと思う。でも滅多にまわってくる役ではないだけに、並々ならぬ意気込みで取り組むお芝居を観るのは、本公演とは違った楽しみでもある。
ある年の夏、「稚魚の会」の幕間に、ロビーで持ってきたお弁当を食べ終わって、ふっと顔を上げたら、視界の先に又五郎の姿を発見した。その時は確かすでに俳優養成講座の講師は田之助が引き継いでいたのだったと思う。とはいえ、かつての教え子の晴れ姿を観に来たのかもしれなかったが、私にとってはまったくの予想外だったので、とにかくびっくりした。反射的にふらふらと又五郎のいる方へ歩いていた。そして頭は真っ白のままなんとなく又五郎の周りをうろうろしてしまった。
又五郎は数人の関係者と話をしていた。憧れの人がすぐそばにいる。あの時、又五郎のそばへ近づいた私の心理は何だったのだろう、やはり何か話したい衝動に駆られたのだろうか。
ここからは私の自意識過剰もしくは一種の自惚れであることを前提として敢えて書く。
又五郎は私の様子に気づいたらしかった。話しかけたい雰囲気を察してくれたように思う。
開演間近でもあったので、たまたま関係者との話を切り上げたのかもしれない。しかし、その後一人になった又五郎は、何か自分に用がありそうな私に、話しかけやすい隙を与えてくれていたように思う。ロビーの脇にあったガラス張りの展示物をじっと見ていた。話しかけるのに絶好のチャンスを感じた。
嗚呼。
それなのに。
絶好のチャンスの直前に、はっ、と我に返ったのだ。
仮にここで私が「又五郎さんのファンです」と伝えたところで、それは単なる自己満足に過ぎないのではないか。その後何を話せばよいのだろうか。たったその一言を言いたいという自分の欲求を満たすために、稀代の名優に話しかけるなんて畏れ多いのではないか。
そう思ったとたん、足がすくんで動けなくなってしまった。
結局、何も言えないまま、開演のベルが鳴った。
あのわずかな時間は、単なる私の自惚れにすぎない。
でも、万が一、あの時感じたまま、本当に又五郎が私が話しかけやすいようにと隙を与えてくれていたのだとしたら、それはそれで結局話しかけられなかった私の失礼になる。だとしたら一言謝るべきではないか。
暫く葛藤して、結局自意識過剰でもいいから、お詫び+言い訳かたがた手紙を出すことにした。
いつかはファンレターを出そうとは思っていたが、まさかこんな形で実現することになろうとは。
今も続いているのかわからないが、10年くらい前までは、隔年毎に「俳優蔡」という一大イベントがあった。
ファン感謝祭のようなものである。幕間に出店されるお店に、俳優たちが店員となっていろいろなものを直接売ってくれるのだ。
このチケットを取るのはものすごい競争率で、開催日も平日だが、チケット売り出し日も平日だったので、両日仕事を休んで、電話を3時間以上掛けつづけてなんとか予約できたことがある。
その時は又五郎は参加していなかった。確かに最古老というだけあってご高齢なのだから、あのお祭り騒ぎ(観客の興奮ぶりは自分も含めて尋常ではない)のさなかに長時間いるのはかなり大変なことと思われる。
そうわかっていながら、手紙には、前回俳優蔡で又五郎さんがいらっしゃるかと楽しみにしていましたが、お見かけできず残念でした、と書いた。
その翌年の俳優蔡は、開催日にどうしても都合がつかず、チケット取りから断念してしまった。
後日、歌舞伎関係のニュースで、その年の俳優蔡に又五郎が来ていたことを知った。
最後に又五郎を観たのは、勘三郎襲名記念の舞台だった。
勘三郎が初舞台(桃太郎)の時に、犬の役で共演した又五郎が、数十年経って、同じ役で出演するというのが話題の一つでもあった。
しかし、予告のチラシに又五郎の名前は載っていなかったはずである。
思えば、高齢ゆえに体調のこともあって、直前まで出演が危ぶまれたのではないか。
花道から現れるまでのほんの数秒間、舞台でその瞬間を待つ、勘三郎初め出演者の全員が、固唾を呑んで見守る様子が、3階席で観ていた私にさえ伝わってきた。
犬に扮した又五郎は、愛嬌をふりまきながら無事花道を通って現れたが、車椅子に乗っていた。
今回、これを書くにあたり、久々に「又五郎の春秋」を再読した。
以前読んだ時は存命中だったが、今はもうこの世にいない。何か胸に迫るものがあった。読みながらちょっと泣きそうになった。
あの時、自己満足だろうが、畏れ多いだろうが、やっぱり思い切って話しかければよかったと悔やまれる。
「又五郎さんのファンです。舞台を拝見するのをこれからも楽しみにしています。」
そう言い終える頃にちょうど開演のベルが鳴って、では、と去っていけばよかったのではなかったかと。
本書を読んで、「剣客商売」全巻を読破した。
主人公の秋山小兵衛の風貌のイメージは、中村又五郎であると書いてある。だからTVシリーズの藤田まことや北大路欣也の小兵衛ではどうもピンとこない。又五郎が演じたシリーズもあったらしいが、観ていない。舞台化では池波正太郎自身の演出で上演されたこともあったらしい。返す返すも見逃していて残念だ。
私が歌舞伎を観始めた時はすでに又五郎の晩年であり、当時の現役歌舞伎俳優の中では最古老だったので、頻繁に舞台に出ていたわけではなかった。ゆえに出演するときは必ず観た。主役ではないが、存在感は大きかった。
歌舞伎俳優の他に、国立劇場の歌舞伎俳優養成講座の講師という重役も担っていた。この本では、その様子も書かれている。
歌舞伎を全く知らない若者を相手に一から教える、それはとても片手間でできることではなかっただろう。一年間という非常に限られた期間内で教えるという条件下ゆえに、教える方も教わる方も激烈を極めた。本の描写からその情熱が伝わってくる。講座を修了すると、歌舞伎俳優の弟子として門下に加わる。大歌舞伎で主役を演じることは絶対にない。しかし脇で支える彼らなしでは舞台では成り立たない。
クライマックスの大立ち回りのシーンで、主役に斬りかかる大勢の敵役の多くは養成講座出身の人たちだと思う。スピードがあり、誰かが一瞬でも気を抜けば大事故になりかねないアクロバティックな演出がいくつもある。個人的にはその大勢の息の揃った素晴らしい演技に拍手を送りたいのだが、どうしても孤軍奮闘する主人公が、彼らをバッサバッサと切り倒して、最後に型を決めるところで観客の喝采が沸き起こる。ストーリー的にはそれでいいのだろうが、あんなに危険を冒してまで脇の人たちの演技で盛り上げてこそ、なのに最後に主役においしいところを全部持って行かれてしまうことに、なんとなく歯痒さを感じていた。
特にこの本を読んで以来、それでも毎日健気に自分の役割をきっちりこなす彼らの姿を見ると、泣くようなシーンではないのに、涙がこみあげてくるようになってしまった。歌舞伎は観客席も特別な演出以外は割と明るいので、ひそかにそっと泣くことができない。なので、非常に困る。もちろんそんなのは自意識過剰で、誰もそんな一観客に気づくことはないだろうとは思うのだが。
昨年、亀治郎が「猿之助」を襲名してから初めてのスーパー歌舞伎を観に行った。襲名するずいぶん前から、踊りのうまさ、女形を演じる時のあだっぽさなど、若手の中でも群を抜いて注目していた。尊敬する先代の叔父(現「猿翁」)が、病気で体がきかなくなって以降、自分が猿之助を襲名することによって、叔父の媒体となって表現していきたいと話した記事も読んでいたので、その叔父が立ち上げたスーパー歌舞伎をどのように継承するのか大変興味があった。
途中やや冗漫かと思われる箇所があったようにも思うが、やはりスーパー歌舞伎の一つの売りでもある、歌舞伎よりもテンポの速い、派手な立ち回りのシーンは、そこに行きつくまでのことを考えると感動的でもあり、泣けて泣けて困った(これって一種の、息子を見守る母のような気持ちなのだろうか)。
話題がそれた。
本公演では主役になれない養成講座出身の彼らも、毎年8月に行われる「稚魚の会」では、修了生を中心とした上演の機会がある。日頃脇役を務める傍ら、舞台上で、または袖で観てきた、師匠が演じている大役を、今度は自分が演じる。弟子としての仕事をしながら稽古に励むのは並大抵のことではないと思う。でも滅多にまわってくる役ではないだけに、並々ならぬ意気込みで取り組むお芝居を観るのは、本公演とは違った楽しみでもある。
ある年の夏、「稚魚の会」の幕間に、ロビーで持ってきたお弁当を食べ終わって、ふっと顔を上げたら、視界の先に又五郎の姿を発見した。その時は確かすでに俳優養成講座の講師は田之助が引き継いでいたのだったと思う。とはいえ、かつての教え子の晴れ姿を観に来たのかもしれなかったが、私にとってはまったくの予想外だったので、とにかくびっくりした。反射的にふらふらと又五郎のいる方へ歩いていた。そして頭は真っ白のままなんとなく又五郎の周りをうろうろしてしまった。
又五郎は数人の関係者と話をしていた。憧れの人がすぐそばにいる。あの時、又五郎のそばへ近づいた私の心理は何だったのだろう、やはり何か話したい衝動に駆られたのだろうか。
ここからは私の自意識過剰もしくは一種の自惚れであることを前提として敢えて書く。
又五郎は私の様子に気づいたらしかった。話しかけたい雰囲気を察してくれたように思う。
開演間近でもあったので、たまたま関係者との話を切り上げたのかもしれない。しかし、その後一人になった又五郎は、何か自分に用がありそうな私に、話しかけやすい隙を与えてくれていたように思う。ロビーの脇にあったガラス張りの展示物をじっと見ていた。話しかけるのに絶好のチャンスを感じた。
嗚呼。
それなのに。
絶好のチャンスの直前に、はっ、と我に返ったのだ。
仮にここで私が「又五郎さんのファンです」と伝えたところで、それは単なる自己満足に過ぎないのではないか。その後何を話せばよいのだろうか。たったその一言を言いたいという自分の欲求を満たすために、稀代の名優に話しかけるなんて畏れ多いのではないか。
そう思ったとたん、足がすくんで動けなくなってしまった。
結局、何も言えないまま、開演のベルが鳴った。
あのわずかな時間は、単なる私の自惚れにすぎない。
でも、万が一、あの時感じたまま、本当に又五郎が私が話しかけやすいようにと隙を与えてくれていたのだとしたら、それはそれで結局話しかけられなかった私の失礼になる。だとしたら一言謝るべきではないか。
暫く葛藤して、結局自意識過剰でもいいから、お詫び+言い訳かたがた手紙を出すことにした。
いつかはファンレターを出そうとは思っていたが、まさかこんな形で実現することになろうとは。
今も続いているのかわからないが、10年くらい前までは、隔年毎に「俳優蔡」という一大イベントがあった。
ファン感謝祭のようなものである。幕間に出店されるお店に、俳優たちが店員となっていろいろなものを直接売ってくれるのだ。
このチケットを取るのはものすごい競争率で、開催日も平日だが、チケット売り出し日も平日だったので、両日仕事を休んで、電話を3時間以上掛けつづけてなんとか予約できたことがある。
その時は又五郎は参加していなかった。確かに最古老というだけあってご高齢なのだから、あのお祭り騒ぎ(観客の興奮ぶりは自分も含めて尋常ではない)のさなかに長時間いるのはかなり大変なことと思われる。
そうわかっていながら、手紙には、前回俳優蔡で又五郎さんがいらっしゃるかと楽しみにしていましたが、お見かけできず残念でした、と書いた。
その翌年の俳優蔡は、開催日にどうしても都合がつかず、チケット取りから断念してしまった。
後日、歌舞伎関係のニュースで、その年の俳優蔡に又五郎が来ていたことを知った。
最後に又五郎を観たのは、勘三郎襲名記念の舞台だった。
勘三郎が初舞台(桃太郎)の時に、犬の役で共演した又五郎が、数十年経って、同じ役で出演するというのが話題の一つでもあった。
しかし、予告のチラシに又五郎の名前は載っていなかったはずである。
思えば、高齢ゆえに体調のこともあって、直前まで出演が危ぶまれたのではないか。
花道から現れるまでのほんの数秒間、舞台でその瞬間を待つ、勘三郎初め出演者の全員が、固唾を呑んで見守る様子が、3階席で観ていた私にさえ伝わってきた。
犬に扮した又五郎は、愛嬌をふりまきながら無事花道を通って現れたが、車椅子に乗っていた。
今回、これを書くにあたり、久々に「又五郎の春秋」を再読した。
以前読んだ時は存命中だったが、今はもうこの世にいない。何か胸に迫るものがあった。読みながらちょっと泣きそうになった。
あの時、自己満足だろうが、畏れ多いだろうが、やっぱり思い切って話しかければよかったと悔やまれる。
「又五郎さんのファンです。舞台を拝見するのをこれからも楽しみにしています。」
そう言い終える頃にちょうど開演のベルが鳴って、では、と去っていけばよかったのではなかったかと。
by rio-caminho_tanmi
| 2015-06-17 00:32
| 本
|
Comments(2)
Commented
by
asuka
at 2015-06-24 12:28
x
二代目中村又五郎さん。
わたしは歌舞伎はよく知らないものでして、
ようやくネットでお顔を確認できました。
そうかーー、あの方ですか。
TVの中村吉右衛門判鬼平にも、剣客商売にも出てらっしゃいますよね。
あの方の「秋山小兵衛」、わたしもみたかったです。
わたしはテレビでみるお姿しか存じませんが、
あの方の存在感からして、お声を掛けることができなかったというお気持ち、なんとなくわかるような気がいたします。
でも、間近でお会いになることができたなんて素晴らしい!きっと言葉を超えて何か受け取っておられるんだなぁと思います。
素敵な思い出ですね。
わたしは歌舞伎はよく知らないものでして、
ようやくネットでお顔を確認できました。
そうかーー、あの方ですか。
TVの中村吉右衛門判鬼平にも、剣客商売にも出てらっしゃいますよね。
あの方の「秋山小兵衛」、わたしもみたかったです。
わたしはテレビでみるお姿しか存じませんが、
あの方の存在感からして、お声を掛けることができなかったというお気持ち、なんとなくわかるような気がいたします。
でも、間近でお会いになることができたなんて素晴らしい!きっと言葉を超えて何か受け取っておられるんだなぁと思います。
素敵な思い出ですね。
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Commented
by
rio-caminho_tanmi at 2015-06-25 00:02
asukaさん
コメントありがとうございます!
又五郎、鬼平にも出ていたのですか!知りませんでした。
池波正太郎が、本(又五郎の春秋)の中で描いている又五郎像が一番本質に近いのかしら、と思います。とにかくカッコいい!んですよね・・・
本当に貴重な思い出です。
コメントありがとうございます!
又五郎、鬼平にも出ていたのですか!知りませんでした。
池波正太郎が、本(又五郎の春秋)の中で描いている又五郎像が一番本質に近いのかしら、と思います。とにかくカッコいい!んですよね・・・
本当に貴重な思い出です。