2016年 06月 25日
大笑い |
真夜中の今、PCの前で声を出して笑ってしまったので、勢いで書かずにいられない。
このブログでも何度か登場している、私が鎌倉に行くと必ず行くという「カフェヴィヴモンディモンシュ」。
マスター夫婦は大のプロレスファンで、試合を観に行った時は、その熱が伝わってくるようなブログがアップされているのだが、今回、そのお二人が「神」と崇めるプロレスキャスターの三田佐代子さんが、「プロレスという生き方ーー平成のリングの主役たち」という本の出版記念で、ディモンシュでトークショーをすることになった。
私も10代の頃、好きだった人がプロレス好きだったのに影響されて、一時期、新日本プロレスに熱くなったことがある。
金曜日の夜は、プロレス中継の前に「じゃりン子チエ」というアニメ番組もやってて、テレビ朝日は正にゴールデンタイムだった。
家族は「一体誰に似たんだか」としかめ面をしていたが、そんな逆風にもめげずに観ていたら、そのうち母は「タイガーマスクだったらいいわ」と言うまでになった。このタイガーマスクとは、初代佐山サトルである。
スピード感があって、技にキレがあって、当初プロレスがまったくわからなかった私でも楽しめた。マスクからのぞく目元がとても優しいのも好印象だった。
その好きだった人の弟(本人ではなく)が、プロレスラーの入場曲ばかりを集めたレコード(当時はまだCDは登場していないか、さほど浸透していなかった時代)を貸してくれた。猪木のピクチャーレコードになっていた。その入場曲の中では、私は長州力のが一番好きだった。
私が観ていた頃は、他にキラー・カーン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントなどが活躍していた。アニマル浜口も現役だった。高田延彦はまだ前座だったので、テレビに映ることもあまりなかったのではないか。
その中でも、藤原喜明には、他のレスラーにはない凄みを感じた。彼の頭突きで相手のレスラーは膝をついてしまうほどだった(と思う。ほとんど記憶が薄れてきているので、正確さに欠ける)。この人の頭は石ではなく、鉄なんだ、と思った。
数年前に夕刊で有名人が自分のペットを紹介するというコーナーに、藤原喜明が愛猫を抱いて、笑っている写真が出ていた。そこには現役時代の、あの時私が「この人、本当に危ないんじゃないか」と思わせるようなコワさは感じられなかった。一好々爺として写っていたのを見て、時が経ったことを痛感した。でもその藤原喜明も、とてもよかった。
夕刊を取っていないので、私が興味のありそうな記事は、実家で切り抜いておいてくれる。藤原喜明の記事もそうやって切り抜いておいてくれたものである。そのコーナーを毎回楽しみにしていたわけでもなく、家族も毎回そこの記事を切り抜いておいてくれたわけではない。そして、当時家族に「藤原喜明が好き」と公言した覚えもない。どころか、当時、自分が藤原喜明のファンだっという自覚もない。
なぜ切り抜いてくれたのだろう。改めて考えるとそれも不思議である。
でも私が一番好きだったのは、レフェリーの山本小鉄である。どこが、と言われても自分でもよくわからない。多分人柄に惹かれたのだと思うが、その人柄はどうやってわかったのだろう。リング上でそこはかとなくにじみ出ていたのか。
当時は、自分に息子が生まれたら、名前は小鉄にしよう、と真剣に考えていた。
プロレスのことを思い出したら、思いのほか、長く書いてしまった。
本題は・・・、そうそう、ディモンシュでのイベント、プロレスキャスターの三田佐代子さんのトークショーのことである。
マスターのツイッターに笑ってしまったのだった。私はツイッターをしていないので、リツイートできないので、誠に勝手ながら、ここに転記させていただく。
堀内隆志 @takashihoriuchi 14時間前
このブログでも何度か登場している、私が鎌倉に行くと必ず行くという「カフェヴィヴモンディモンシュ」。
マスター夫婦は大のプロレスファンで、試合を観に行った時は、その熱が伝わってくるようなブログがアップされているのだが、今回、そのお二人が「神」と崇めるプロレスキャスターの三田佐代子さんが、「プロレスという生き方ーー平成のリングの主役たち」という本の出版記念で、ディモンシュでトークショーをすることになった。
私も10代の頃、好きだった人がプロレス好きだったのに影響されて、一時期、新日本プロレスに熱くなったことがある。
金曜日の夜は、プロレス中継の前に「じゃりン子チエ」というアニメ番組もやってて、テレビ朝日は正にゴールデンタイムだった。
家族は「一体誰に似たんだか」としかめ面をしていたが、そんな逆風にもめげずに観ていたら、そのうち母は「タイガーマスクだったらいいわ」と言うまでになった。このタイガーマスクとは、初代佐山サトルである。
スピード感があって、技にキレがあって、当初プロレスがまったくわからなかった私でも楽しめた。マスクからのぞく目元がとても優しいのも好印象だった。
その好きだった人の弟(本人ではなく)が、プロレスラーの入場曲ばかりを集めたレコード(当時はまだCDは登場していないか、さほど浸透していなかった時代)を貸してくれた。猪木のピクチャーレコードになっていた。その入場曲の中では、私は長州力のが一番好きだった。
私が観ていた頃は、他にキラー・カーン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントなどが活躍していた。アニマル浜口も現役だった。高田延彦はまだ前座だったので、テレビに映ることもあまりなかったのではないか。
その中でも、藤原喜明には、他のレスラーにはない凄みを感じた。彼の頭突きで相手のレスラーは膝をついてしまうほどだった(と思う。ほとんど記憶が薄れてきているので、正確さに欠ける)。この人の頭は石ではなく、鉄なんだ、と思った。
数年前に夕刊で有名人が自分のペットを紹介するというコーナーに、藤原喜明が愛猫を抱いて、笑っている写真が出ていた。そこには現役時代の、あの時私が「この人、本当に危ないんじゃないか」と思わせるようなコワさは感じられなかった。一好々爺として写っていたのを見て、時が経ったことを痛感した。でもその藤原喜明も、とてもよかった。
夕刊を取っていないので、私が興味のありそうな記事は、実家で切り抜いておいてくれる。藤原喜明の記事もそうやって切り抜いておいてくれたものである。そのコーナーを毎回楽しみにしていたわけでもなく、家族も毎回そこの記事を切り抜いておいてくれたわけではない。そして、当時家族に「藤原喜明が好き」と公言した覚えもない。どころか、当時、自分が藤原喜明のファンだっという自覚もない。
なぜ切り抜いてくれたのだろう。改めて考えるとそれも不思議である。
でも私が一番好きだったのは、レフェリーの山本小鉄である。どこが、と言われても自分でもよくわからない。多分人柄に惹かれたのだと思うが、その人柄はどうやってわかったのだろう。リング上でそこはかとなくにじみ出ていたのか。
当時は、自分に息子が生まれたら、名前は小鉄にしよう、と真剣に考えていた。
プロレスのことを思い出したら、思いのほか、長く書いてしまった。
本題は・・・、そうそう、ディモンシュでのイベント、プロレスキャスターの三田佐代子さんのトークショーのことである。
マスターのツイッターに笑ってしまったのだった。私はツイッターをしていないので、リツイートできないので、誠に勝手ながら、ここに転記させていただく。
堀内隆志
ディモンシュ初のプロレスイベントを開催することをお客さんにお話しすると「リングは入るのか?」「何試合するのか?」「紙テープは必要か?」とご心配いただきますが、ぼくと三田さんは試合はしません。
by rio-caminho_tanmi
| 2016-06-25 02:35