2016年 11月 07日
同窓会 |
高校の同窓会があった。学年でやったのは今回が初めてではないか。母校で開催された。
私自身、母校へ行くのは、もしかしら卒業以来のような気がする。合宿には何回か参加したが、学校ではなかった。
田舎なので、電車の本数も少ない。乗れば誰かに会うだろうと思っていたが、卒業生は私だけ。へえ、そんなもんかな、と思ってウトウトしていたが、はっ、と目が覚めて顔を上げたら、ここ数年ご無沙汰して会いたいと思っていた友人がホームに立っていた。車両を指定して待ち合わせていたかの如くである。
駅に着けば、やはり何人かと久々の再会に、早速かしましい。「かしましい」は、漢字で書くと「姦しい」。女子高だったからなおさらピッタリの文字だ。
仲の良かった子とは、いまだに年に数回会っているが。卒業以来まったく会っていない子もいる。お互いわかるかしら、わかってもらえなかったらちょっとショック・・・と思ったりしたが、会場へ着くなり「Rちゃん!(私の呼び名)」「えー、全然変わってなーい」という言葉にすっかり気を良くする。ばかりか懐かしい顔ぶれを目にした途端、今以上にお調子者だった頃の私が一瞬にして蘇る。
クラスごとにテーブルが分かれているのだが、座ろうとした席の隣の人をよく見もしないで、「ワァ!(久しぶり)」と言ってしまってから、「アレ、コノヒトダレダッケ?」頭の中のモーターがフル回転するが、どうしても思い出せない。
そのうち、席をもっと詰めようということになって、私は移動してその彼女の正面に座ることになった。そこで胸につけた名前が目に入った。
「えっ、Tさん??」
ほんの直前に懐かしい!というような声を出しておきながら、そのリアクションは失礼だろう、と気づいたのは後になってからで、当時からのあまりの変貌ぶりに、ついビックリして、そのまま口に出してしまった。
高校生の頃の彼女は、もっと太っていたのだ。そしてものすごくおとなしかったので、殆ど話をしたこともなかった。
目の前の彼女は、中年太りとも無縁な、ほっそりとして別人のようである。病的、というのではない。確固とした幸福感に包まれているような佇まいなのだ。
何があったの??
好奇心が抑えきれない。
ロックオン。
ある日、彼女は「痩せよう!」と一念発起し、その手段としてスポーツクラブへ入会した。しかし、継続させるためにはそれなりのモチベーションがなければ、ということで、「好きな人を見つけよう」と思い立った。よく声をかけてくれるスタッフの一人を「好きな人」にした。別にその人と実際に付き合おう、とかそういうのではない。あくまでもスポーツクラブへ来るためのたのしみとして、自分の中だけで完結しているものであった。年齢的にも、結婚しているであろうことは想定内だった。が、好きだという気持ちを持って、その人と言葉を交わせば、想定内だったとはいえ、やはり既婚者であることを知った時は少なからずショックだった。
しかし、当の彼は、実はすでに奥さんとうまくいっていなかった。まもなく離婚する。
昔から控えめでおとなしかった彼女は、そこでアプローチをするでもなく、スポーツクラブに通い続けていた。
どれくらい経ったのか、その彼は、別のスタッフから「Tさんと合ってるんじゃない?」と言われて初めてTさんを意識するようになり、やがて2人は付き合うようになり、晴れて結婚したとのこと。今では5歳になる男の子がいるのだそう。
ということは高齢出産も果たした、ということで、それもまたビックリ!だったのだが、子育てで体力的にも大変なはずの疲れも見えない。
私に根掘り葉掘り聞かれても、Tさんは嫌がるでもなく、また浮かれることもなく、そこは高校時代から変わらず、淡々としている。
いいなあ、と思った。私を含む独身チームはこぞって「そっか!スポーツクラブね!」などと短絡的なことを言って励まし合う。
やがて各クラスの担任だった先生の挨拶が始まる。
私のクラスの先生は、体育教師で生活指導でもあった。とにかく厳しかった。
「私もまだ当時は、今の皆さんよりも若く、それゆえに体罰をしたり、至らない指導をしたことが多々ありました・・・」
の一言を聞いて、芋づる式に思い出があふれ出す。
体育の時間、授業そっちのけで校庭に迷い込んできた犬と遊び、「整列!」の声で戻ったものの、
「今、犬と遊んでたやつ、出てこーい!!」
7~8人を一列に並ばせ、
「お前ら、授業中に犬と遊ぶなんて、”犬畜生”だ!!」
と言って、端からビンタをくらったこと。
学校から駅までの帰り道の途中にセブンイレブンができた時。
セブンイレブンに寄ってはいけない、というお達しを破って、テニス部の子たちがそこでアイスを買っているところへ、運悪く先生が通りかかった。
「お前ら、セブンイレブンに寄るなんて、”人生の落伍者だ”!!」
セブンイレブンに寄ったくらいで人生の落伍者になるということ自体笑えるが、実際は
「人生の”娯楽者”だ!!」と言ってしまったこと。
修学旅行で消灯時間をとっくに過ぎているのに、布団の中でお菓子を食べながらしゃべっていたのが、先生に見つかり、
廊下の上で正座をさせられ、
「お前ら、今、何時だと思ってるんだ!!!」
と怒鳴られた刹那、ビビった班長が、律儀に時計を確かめ
「に・・・2時15分です」
と、口答えではなく、真面目に答えてしまったので、先生が絶句してしまったこと。
件のTさんの爆弾発言で蘇ったこと。
「夏休み、テレビ観てたら、出てるから、あの時は本当にびっくりした」
私は所ジョージが好きだった。当時はまだ所さんは所沢市に住んでいたので、埼玉のローカルなイベントに出演することもあった。
部活を引退して暇を持て余していた私たちは、一番前の席を陣取り、ナマ所さんにすっかりコーフンし、調子に乗って、当時レギュラーだった「笑っていいとも!」も観に行こう!ということになった。
しかし、観覧者の条件は18歳以上。夏休み時点での私はまだ17歳。
と、そこで諦めると思いきや、
「じゃ、出るしかないね」
という発想に転換し、笑っていいとも!の所さんのコーナーのオーディションに出かける。
いつも「今日は予選10組中、5組の皆さんが出てきます」と言っていたので、競争率はせいぜい2倍くらいだろう、と思っていた。
しかし、その日は夏休み最終週のせいなのか、予選の応募は100組以上いたらしい。アルタの階段にはぎっしりオーディションを待つ人たちの行列で埋め尽くされていた。
まあ私たちの目的は出演ではなく、所さんに会うことである。オーディションで所さんに会えたら御の字、あとはせっかく来たからどこかでパフェでも食べて帰ろう、と言い合った。
いよいよ私たちの番である。私と、バドミントン部でダブルスを組んだ相方と、いつも部活が終わって部室へ行き、先輩たちが出てくるのを待っている間にやっていた瞬間芸のレパートリーから、特にウケが良かったのを2つ選んでやってみた。
一瞬の沈黙の後、スタッフの人たちの笑い声。あまりのくだらなさに、所さんも私たちを見ながら笑っていた。もうそれで大満足だった。
しかし結果、オーディションを通過して、出演することになる。
えーっ、ほんと?と言いながらも、これだけの予選者たちの中で通過できたという誇らしさも隠せない。
それからバタバタとリハーサル→本番、となった。
オーディションに参加しておきながら、それでもまさかの予想外の展開に、当時は携帯もないし、自宅に「出るから」と連絡を入れたのが精いっぱい。
瞬間芸であるし、実際にテレビに映ったのはせいぜい1〜2分程度だったと思う。
しかし、夏休み明けに登校すると、ちょっとした騒ぎになっていた。先生によっては「観たわよ~」とニヤニヤされて、テレ笑いでゴマかしたりしていたが、しかし学校としては、勝手にテレビ出演をしたということで、呼び出しをくらってしまった。
恥ずかしながらも多少浮かれていただけに、学校名出したわけじゃないし、制服着てたわけでもないし、と憮然としたのも今となっては懐かしいというか、恥ずかしいというか。
翌年の生徒手帳の校則には「生徒が、学校の許可なくテレビに出演することを禁ずる」の1項が追加された。
などなど。自分に都合の悪いことは記憶の彼方に追いやっていたことに今更気づく。
懐かしい場所で、懐かしい人たちと再会し、気持ちはすぐさまあの頃に戻ったものの、
身体は正直である。
ボルテージが上がりすぎて、帰宅後、反動激しく、翌日、翌々日まで疲れを引きずった。
私自身、母校へ行くのは、もしかしら卒業以来のような気がする。合宿には何回か参加したが、学校ではなかった。
田舎なので、電車の本数も少ない。乗れば誰かに会うだろうと思っていたが、卒業生は私だけ。へえ、そんなもんかな、と思ってウトウトしていたが、はっ、と目が覚めて顔を上げたら、ここ数年ご無沙汰して会いたいと思っていた友人がホームに立っていた。車両を指定して待ち合わせていたかの如くである。
駅に着けば、やはり何人かと久々の再会に、早速かしましい。「かしましい」は、漢字で書くと「姦しい」。女子高だったからなおさらピッタリの文字だ。
仲の良かった子とは、いまだに年に数回会っているが。卒業以来まったく会っていない子もいる。お互いわかるかしら、わかってもらえなかったらちょっとショック・・・と思ったりしたが、会場へ着くなり「Rちゃん!(私の呼び名)」「えー、全然変わってなーい」という言葉にすっかり気を良くする。ばかりか懐かしい顔ぶれを目にした途端、今以上にお調子者だった頃の私が一瞬にして蘇る。
クラスごとにテーブルが分かれているのだが、座ろうとした席の隣の人をよく見もしないで、「ワァ!(久しぶり)」と言ってしまってから、「アレ、コノヒトダレダッケ?」頭の中のモーターがフル回転するが、どうしても思い出せない。
そのうち、席をもっと詰めようということになって、私は移動してその彼女の正面に座ることになった。そこで胸につけた名前が目に入った。
「えっ、Tさん??」
ほんの直前に懐かしい!というような声を出しておきながら、そのリアクションは失礼だろう、と気づいたのは後になってからで、当時からのあまりの変貌ぶりに、ついビックリして、そのまま口に出してしまった。
高校生の頃の彼女は、もっと太っていたのだ。そしてものすごくおとなしかったので、殆ど話をしたこともなかった。
目の前の彼女は、中年太りとも無縁な、ほっそりとして別人のようである。病的、というのではない。確固とした幸福感に包まれているような佇まいなのだ。
何があったの??
好奇心が抑えきれない。
ロックオン。
ある日、彼女は「痩せよう!」と一念発起し、その手段としてスポーツクラブへ入会した。しかし、継続させるためにはそれなりのモチベーションがなければ、ということで、「好きな人を見つけよう」と思い立った。よく声をかけてくれるスタッフの一人を「好きな人」にした。別にその人と実際に付き合おう、とかそういうのではない。あくまでもスポーツクラブへ来るためのたのしみとして、自分の中だけで完結しているものであった。年齢的にも、結婚しているであろうことは想定内だった。が、好きだという気持ちを持って、その人と言葉を交わせば、想定内だったとはいえ、やはり既婚者であることを知った時は少なからずショックだった。
しかし、当の彼は、実はすでに奥さんとうまくいっていなかった。まもなく離婚する。
昔から控えめでおとなしかった彼女は、そこでアプローチをするでもなく、スポーツクラブに通い続けていた。
どれくらい経ったのか、その彼は、別のスタッフから「Tさんと合ってるんじゃない?」と言われて初めてTさんを意識するようになり、やがて2人は付き合うようになり、晴れて結婚したとのこと。今では5歳になる男の子がいるのだそう。
ということは高齢出産も果たした、ということで、それもまたビックリ!だったのだが、子育てで体力的にも大変なはずの疲れも見えない。
私に根掘り葉掘り聞かれても、Tさんは嫌がるでもなく、また浮かれることもなく、そこは高校時代から変わらず、淡々としている。
いいなあ、と思った。私を含む独身チームはこぞって「そっか!スポーツクラブね!」などと短絡的なことを言って励まし合う。
やがて各クラスの担任だった先生の挨拶が始まる。
私のクラスの先生は、体育教師で生活指導でもあった。とにかく厳しかった。
「私もまだ当時は、今の皆さんよりも若く、それゆえに体罰をしたり、至らない指導をしたことが多々ありました・・・」
の一言を聞いて、芋づる式に思い出があふれ出す。
体育の時間、授業そっちのけで校庭に迷い込んできた犬と遊び、「整列!」の声で戻ったものの、
「今、犬と遊んでたやつ、出てこーい!!」
7~8人を一列に並ばせ、
「お前ら、授業中に犬と遊ぶなんて、”犬畜生”だ!!」
と言って、端からビンタをくらったこと。
学校から駅までの帰り道の途中にセブンイレブンができた時。
セブンイレブンに寄ってはいけない、というお達しを破って、テニス部の子たちがそこでアイスを買っているところへ、運悪く先生が通りかかった。
「お前ら、セブンイレブンに寄るなんて、”人生の落伍者だ”!!」
セブンイレブンに寄ったくらいで人生の落伍者になるということ自体笑えるが、実際は
「人生の”娯楽者”だ!!」と言ってしまったこと。
修学旅行で消灯時間をとっくに過ぎているのに、布団の中でお菓子を食べながらしゃべっていたのが、先生に見つかり、
廊下の上で正座をさせられ、
「お前ら、今、何時だと思ってるんだ!!!」
と怒鳴られた刹那、ビビった班長が、律儀に時計を確かめ
「に・・・2時15分です」
と、口答えではなく、真面目に答えてしまったので、先生が絶句してしまったこと。
件のTさんの爆弾発言で蘇ったこと。
「夏休み、テレビ観てたら、出てるから、あの時は本当にびっくりした」
私は所ジョージが好きだった。当時はまだ所さんは所沢市に住んでいたので、埼玉のローカルなイベントに出演することもあった。
部活を引退して暇を持て余していた私たちは、一番前の席を陣取り、ナマ所さんにすっかりコーフンし、調子に乗って、当時レギュラーだった「笑っていいとも!」も観に行こう!ということになった。
しかし、観覧者の条件は18歳以上。夏休み時点での私はまだ17歳。
と、そこで諦めると思いきや、
「じゃ、出るしかないね」
という発想に転換し、笑っていいとも!の所さんのコーナーのオーディションに出かける。
いつも「今日は予選10組中、5組の皆さんが出てきます」と言っていたので、競争率はせいぜい2倍くらいだろう、と思っていた。
しかし、その日は夏休み最終週のせいなのか、予選の応募は100組以上いたらしい。アルタの階段にはぎっしりオーディションを待つ人たちの行列で埋め尽くされていた。
まあ私たちの目的は出演ではなく、所さんに会うことである。オーディションで所さんに会えたら御の字、あとはせっかく来たからどこかでパフェでも食べて帰ろう、と言い合った。
いよいよ私たちの番である。私と、バドミントン部でダブルスを組んだ相方と、いつも部活が終わって部室へ行き、先輩たちが出てくるのを待っている間にやっていた瞬間芸のレパートリーから、特にウケが良かったのを2つ選んでやってみた。
一瞬の沈黙の後、スタッフの人たちの笑い声。あまりのくだらなさに、所さんも私たちを見ながら笑っていた。もうそれで大満足だった。
しかし結果、オーディションを通過して、出演することになる。
えーっ、ほんと?と言いながらも、これだけの予選者たちの中で通過できたという誇らしさも隠せない。
それからバタバタとリハーサル→本番、となった。
オーディションに参加しておきながら、それでもまさかの予想外の展開に、当時は携帯もないし、自宅に「出るから」と連絡を入れたのが精いっぱい。
瞬間芸であるし、実際にテレビに映ったのはせいぜい1〜2分程度だったと思う。
しかし、夏休み明けに登校すると、ちょっとした騒ぎになっていた。先生によっては「観たわよ~」とニヤニヤされて、テレ笑いでゴマかしたりしていたが、しかし学校としては、勝手にテレビ出演をしたということで、呼び出しをくらってしまった。
恥ずかしながらも多少浮かれていただけに、学校名出したわけじゃないし、制服着てたわけでもないし、と憮然としたのも今となっては懐かしいというか、恥ずかしいというか。
翌年の生徒手帳の校則には「生徒が、学校の許可なくテレビに出演することを禁ずる」の1項が追加された。
などなど。自分に都合の悪いことは記憶の彼方に追いやっていたことに今更気づく。
懐かしい場所で、懐かしい人たちと再会し、気持ちはすぐさまあの頃に戻ったものの、
身体は正直である。
ボルテージが上がりすぎて、帰宅後、反動激しく、翌日、翌々日まで疲れを引きずった。
by rio-caminho_tanmi
| 2016-11-07 00:52