2020年 03月 30日
ハマスホイとデンマーク絵画展 |
ハマスホイの絵を初めて観たのはいつだったろう。
誰もいない室内、そこに差し込む陽の光を捉えた瞬間。
「静謐」という言葉が自然と浮かび上がってくるような
一枚いちまいに見とれて至福の時間に浸っていたことを
以降、何度も思い出してはせめて図録を買っておけばよかったと
後悔した。
昨年、本棚の整理をしていた時に、雑誌「住む」を見つけた。
毎号買っているわけではなかったから、へえ、これ何で
買おうと思ったんだっけ、とパラパラめくっていたら、
当時のハマスホイ展に因んだ特集記事があった。
なぜ美術専門雑誌ではなく、住宅やインテリアの「住む」に
掲載されたのかというと、やはり描いたものが殆ど室内だったからだろう。
今、その雑誌の年数を見ると2008年とある。もう12年、そんな前になるのか。
とにかくその雑誌を見たら、またハマスホイ展が来ないかな…という思いが募った。
それから間もなくクリムト展を観に行った際、
チラシ置き場にその絵を見つけた。
2020年1月公開とある。
半年待てば、また観られる!
そこからは公私共に慌ただしかったせいもあって半年はあっという間だった。
週末よりは多少なりとも空いている平日に休みを取って開幕直後の朝一で向かった。
確か前回はハマスホイのみの展示だったように記憶しているが、
今回はタイトルも「ハマスホイとデンマーク絵画」となっていて、
ハマスホイ以前の19世紀の画家たちの展示も数多くあった。
表記も以前は「ハンマースホイ」だったのだが、今回は「ハマスホイ」となっている。
発音の違いか。確かにスペルを見ると、英語的にはハンマースホイと読んでしまうが、
デンマークでは「ハマスホイ」なのだろう。
内容は期待を上回るものであった。
風景画といい、ハマスホイのみならず他の画家たちの室内画といい、
デンマークには行ったこともないし、デンマークの絵画を見るのも
おそらく初めてだというのに、「郷愁」という言葉では物足らないくらいの、
思い出しようのない記憶にもう少しで手が届きそうな錯覚、
実はもっと言うと、決して大げさではなく、懐かしすぎて
泣きたくなるような気持ちにさえなって自分でも驚いた。
とにかく終始幸福感に包まれた。
何年か前に、「ヒュゲ」という言葉がはやった(?)、
クローズアップされたことがあった。
その当時はやはり「ヒュッゲ」という表記だったように思うが、
最近は「ヒュゲ」も一般的になってきたように思う。発音の違いなのだろう。
本や雑誌の情報からくるイメージは
「心地よい、幸せを感じる空間、時間」というもの。
今回のこの展覧会はヒュゲをテーマにしたものではないことはわかるが、
自然に、言葉で定義できるものではないヒュゲの神髄のようなものを
体感させてくれたような気もする。
ただし、ハマスホイの作品についてはヒュゲとは言い難いものを感じる。
私の勝手な解釈だが、ヒュゲの持つ心地よさには「暖かみ」も加わっている
と思うが、ハマスホイからは暖かみは感じられない。
窓から差し込む柔らかい光に暖かみはあるかもしれないが、
12年前の第一印象通り、そこにあるのは「静謐」なのだ。
ヒュゲを表すのに「静謐」は入らないと思う。といってヒュゲが賑やかでもないと思う。
あくまでも個人の感覚的なものにすぎないが、私はヒュゲも静謐も、どちらも好きだ。
これまでも北欧には惹かれていて、いつか行ってみたいと思っていたが、
どちらかというとそれは大好きな映画「やかまし村の子供たち」の舞台と
なっているスウェーデンや、アアルトやムーミン、「かもめ食堂」の影響
などからフィンランドに比重を置いていた。
しかし、改めてデンマークの魅力を考えたら、
インテリアではハンス・ウェグナーのYチェア、
ポール・ヘニングセンやアルネ・ヤコブセンの照明、
映画では「バベットの晩餐会」、子供向けにしては
怖さも半端なかったアンデルセンもデンマークではないか!
そしてこの展覧会で知った、デンマーク最北端のスケーインには
「スケーイン派」と呼ばれる芸術家のコロニーもあったということ。
俄かにデンマーク熱が上昇する。ヒュゲも展覧会で体感できたとはいえ、
本もいろいろ出ているようだし、
「淡味」生活に通じるところがあるかもしれない。
できれば会期中にもう一度行きたいと思っていたが、願い叶わず
東京では再開されることなく閉幕してしまったようだ。
ミュージアムショップも充実していて、センスの良いものが多くあった。
図録が重かったので、次来た時に買おう、と思っていたのもあったんだけどな。
誰もいない室内、そこに差し込む陽の光を捉えた瞬間。
「静謐」という言葉が自然と浮かび上がってくるような
一枚いちまいに見とれて至福の時間に浸っていたことを
以降、何度も思い出してはせめて図録を買っておけばよかったと
後悔した。
昨年、本棚の整理をしていた時に、雑誌「住む」を見つけた。
毎号買っているわけではなかったから、へえ、これ何で
買おうと思ったんだっけ、とパラパラめくっていたら、
当時のハマスホイ展に因んだ特集記事があった。
なぜ美術専門雑誌ではなく、住宅やインテリアの「住む」に
掲載されたのかというと、やはり描いたものが殆ど室内だったからだろう。
今、その雑誌の年数を見ると2008年とある。もう12年、そんな前になるのか。
とにかくその雑誌を見たら、またハマスホイ展が来ないかな…という思いが募った。
それから間もなくクリムト展を観に行った際、
チラシ置き場にその絵を見つけた。
2020年1月公開とある。
半年待てば、また観られる!
そこからは公私共に慌ただしかったせいもあって半年はあっという間だった。
週末よりは多少なりとも空いている平日に休みを取って開幕直後の朝一で向かった。
確か前回はハマスホイのみの展示だったように記憶しているが、
今回はタイトルも「ハマスホイとデンマーク絵画」となっていて、
ハマスホイ以前の19世紀の画家たちの展示も数多くあった。
表記も以前は「ハンマースホイ」だったのだが、今回は「ハマスホイ」となっている。
発音の違いか。確かにスペルを見ると、英語的にはハンマースホイと読んでしまうが、
デンマークでは「ハマスホイ」なのだろう。
内容は期待を上回るものであった。
風景画といい、ハマスホイのみならず他の画家たちの室内画といい、
デンマークには行ったこともないし、デンマークの絵画を見るのも
おそらく初めてだというのに、「郷愁」という言葉では物足らないくらいの、
思い出しようのない記憶にもう少しで手が届きそうな錯覚、
実はもっと言うと、決して大げさではなく、懐かしすぎて
泣きたくなるような気持ちにさえなって自分でも驚いた。
とにかく終始幸福感に包まれた。
何年か前に、「ヒュゲ」という言葉がはやった(?)、
クローズアップされたことがあった。
その当時はやはり「ヒュッゲ」という表記だったように思うが、
最近は「ヒュゲ」も一般的になってきたように思う。発音の違いなのだろう。
本や雑誌の情報からくるイメージは
「心地よい、幸せを感じる空間、時間」というもの。
今回のこの展覧会はヒュゲをテーマにしたものではないことはわかるが、
自然に、言葉で定義できるものではないヒュゲの神髄のようなものを
体感させてくれたような気もする。
ただし、ハマスホイの作品についてはヒュゲとは言い難いものを感じる。
私の勝手な解釈だが、ヒュゲの持つ心地よさには「暖かみ」も加わっている
と思うが、ハマスホイからは暖かみは感じられない。
窓から差し込む柔らかい光に暖かみはあるかもしれないが、
12年前の第一印象通り、そこにあるのは「静謐」なのだ。
ヒュゲを表すのに「静謐」は入らないと思う。といってヒュゲが賑やかでもないと思う。
あくまでも個人の感覚的なものにすぎないが、私はヒュゲも静謐も、どちらも好きだ。
これまでも北欧には惹かれていて、いつか行ってみたいと思っていたが、
どちらかというとそれは大好きな映画「やかまし村の子供たち」の舞台と
なっているスウェーデンや、アアルトやムーミン、「かもめ食堂」の影響
などからフィンランドに比重を置いていた。
しかし、改めてデンマークの魅力を考えたら、
インテリアではハンス・ウェグナーのYチェア、
ポール・ヘニングセンやアルネ・ヤコブセンの照明、
映画では「バベットの晩餐会」、子供向けにしては
怖さも半端なかったアンデルセンもデンマークではないか!
そしてこの展覧会で知った、デンマーク最北端のスケーインには
「スケーイン派」と呼ばれる芸術家のコロニーもあったということ。
俄かにデンマーク熱が上昇する。ヒュゲも展覧会で体感できたとはいえ、
本もいろいろ出ているようだし、
「淡味」生活に通じるところがあるかもしれない。
できれば会期中にもう一度行きたいと思っていたが、願い叶わず
東京では再開されることなく閉幕してしまったようだ。
ミュージアムショップも充実していて、センスの良いものが多くあった。
図録が重かったので、次来た時に買おう、と思っていたのもあったんだけどな。
by rio-caminho_tanmi
| 2020-03-30 22:34